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日本人の国際結婚 

〜カナダからの報告〜
サンダース宮松敬子
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2010年8月末 記

1943年5月に横浜で生まれ、横浜で育った生粋の浜っ子。文筆家。
24歳で渡米しNYでフラワーデザイン・スクールに入学。資格取得後NY、Washington DCなどでフラワーデザイナーとして3年半働いたのち日本に帰国。まだ西洋式のアレンジメントが珍しい時代だったが、ホテルや結婚式場と契約して作品を制作する一方、横浜の英語学校で英会話を教える。

同校でカナダ人夫婦との知己を得て、彼等と共に独立して英語を教える仕事をする。この2人の影響でそれまで未知だった「カナダ」という国に魅せられる。'73年に渡加(トロント)して、フラワーデザイナーとしての技術を生かして仕事を続ける。

'76年にパーフォーミングアートの舞台関係の仕事をするカナダ人の夫と結婚し2児を得て短期間子育てに専念。'84年から日本経済新聞トロント支局に勤務。'94年に日本のバブル崩壊の影響で支局が閉鎖されたのを機にフリーランスになり、社会問題、女性問題などを中心にカナダの社会の有り様を探り、カナダ、アメリカ、日本の新聞、雑誌に寄稿を開始し今に至る。

文章を書くことは元々好きだったが、この新聞社での10年の経験は掛け替えのないもので、「その後の私」が生まれる土壌となった。

現在は子育てを終え夫婦2人の生活だが、お互いに“縛らず縛られず”をモットーに仕事と好きなことを半々にやっている。今後2人の人生をどのような方向に舵取りしていくかは未知数だが、それだけに楽しみでもある。

著書は、処女作に67歳('77年)で人生を180度転換し、娘の許に移り住んだ実母のカナダ生活を書いた「カナダ生き生き老い暮らし」('00年・集英社)がある。'80年代半ば、シニアの新たな生き方に海外移住という選択をする人々が増えたが、母はその先駆けとして行動したことで大変に好評をはくし'05年には文庫本になった。

その後カナダのゲイの公民権運動の流れを追い、'05年夏に世界で4番目に同性婚が立法化するまでをまとめた「カナダのセクシュアル・マイノリティーたち 〜人権を求めつづけて〜」('05年・教育史料出版会)を出版した。地道な調査、インタビューを元に執筆したが、未知の世界を知ることで自分自身が一番目を開かされたと思っている。

また'10年には、カナダに住むエスニックの中でCross-Cultural Union(国際結婚)が最高率である日本人移住者に焦点をあて、アンケート調査によって集めた日本人・カナダ人200人余りからの生の声を「日本人の国際結婚 〜カナダからの報告〜」('10年・彩流社)にまとめて上梓した。カナダにおける日本人の国際結婚を軸にしてはいるが、それに絡めて広範囲に渡ってカナダ・カナダ人、日本・日本人をあらゆる方面から検証し、ソフトな面から両国を見る一冊になっている。


〜*〜*〜*〜*〜*〜

以下は、拙著「日本人の国際結婚 〜カナダからの報告〜」の調査を開始した時点で、このblogを立ち上げた時に記したものである。


2008年10月17 記

私がカナダ移住を決意して初めてこの国に一歩を踏み入れたのは35年前の10月8日。良く晴れた秋晴れのバンクーバーであった。

それは月曜日に感謝祭(Thanksgiving Day)の休日を控えた週末で、この時初めてカナダの感謝祭がアメリカと違う日であるのを知った。

雪を擁いて聳え立つロッキー山脈を背に、蒼々と広がる太平洋を眺めながら、何と美しい街かと心底感動したのを鮮明に覚えている。しかし一方では、これから始まるカナダでの生活に向けて、不安と期待で胸が一杯だったのも事実であった。

2日ほどこの街に滞在した後、大陸横断鉄道に乗り、ヴァンクーヴァーから見たロッキー山脈を、今度は東側から見ることが出来るバンフで下車。
まだ10月というのに、すでにうっすらと雪のベールに包まれたレイク・ルイーズの薄墨色の景色は、夕暮れ時でもあったため何とも幽玄的な美しさだった。

引き続きの汽車の旅では、真っ赤な太陽が平原から昇り、平原に沈む光景を初めて見ることが出来て実に感動的だったが、同時にカナダの広さをまざまざと実感した。
次の下車はマニトバ州のウィニペック。日本で同じ英語学校で教師をしていたカナダ人の友人の親戚を訪ねるためだった。

ここはまだ雪は降っていなかったものの、くっきりと晴れて何処までも澄み切ったキーンとした空気は肌を刺し、真冬の寒さを想像することは容易だった。
将来トロント出会う夫が、この街で青春時代の一時期を送り、彼の両親が住んでいたことはその時は知る由もなかった。

そこから又引き続きの鉄道の旅をしてトロントに到着したのは10月17日。丁度35年前の今日である。

生きとし生けるものすべての人にそれぞれの私的な人生経験があるように、私にも私の物語があり今に至っている。
訳あって、数年前にそれを著す機会に恵まれ「カナダ生き生き老い暮らし」、(詳細は本のタイトルをクリックしてください)という本にまとめ集英社から出版された。

本の主人公は、私がカナダに来てから4年後(1977年)に、67歳で日本から移住し、私の家族と共に22年間を過ごした実母である。
当時の日本人のシニアとしては珍しい生き方だったことから、多くの方がお読み下さった。
母は4年前に鬼籍の人となったが、その後文庫本にもなり、息長く読者を得ているのは嬉しいことである。

私自身もうじき母が移住した年に近づくが、こうしてカナダに初めてやって来た秋の季節を迎えると、芭蕉の句「さまざまのこと思い出す桜かな」をもじって「さまざまのこと思い出す楓かな」が毎年口をついて出る。

いまカナダには、日本人移住者、特に日本人以外の配偶者を得て(或いは配偶者が以前いて)この地を第二の故郷として生活している若い人が実に多い。

私が初めてカナダに来た時代から比べると、その数には雲泥の差がある。
ここに定住している日本人移住者たちも、そういう方たちが人数的に多くなっていることは肌身で感じながらも、実際にはどうなのか、それを知ることが出来る統計的な調査はされていない。

私はこの何年か、そんな実態を知りたいという思いが沸々と上がって来ている。そこで大きなプロジェクトである事は承知ながら、自分が出来る範囲内で調査をしてみたいと思い立った。

幸いにも、すでに多くの方の賛同を得ていることから、一歩一歩前向きに進めるプロジェクトを開始している。
出来るだけ多くの人にお会いし、話をお聞きし、それぞれの方の人生に対する思いを丁寧に紡いでみたい。

そして、近い将来このプロジェクトを本にまとめ、カナダに住む日本人移住者のある側面をお届けする事が出来たらと心より願っている。